高等ムーミンをめぐる冒険

趣味は生物学とクラリネットです。つぶやき:https://twitter.com/NobuKoba1988 ほどこし: https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/RXOIKJBR8G4Q?ref_=wl_share

論文紹介:Twitter as a means to study temporal behaviour

先日ラボの後輩くんが紹介していた論文。

今年ノーベル賞をとった時計遺伝子が記憶に新しいが、生命体の活動には周期性があり、医学生物学の世界では概日周期(代謝の変動など)に関する研究が盛んに行われている。

Current Biologyに掲載されたこの論文では、ヒトの睡眠などの時間的挙動の情報ソースとしてソーシャルメディア、例としてツイッターが利用できると提唱している。

http://www.cell.com/current-biology/abstract/S0960-9822(17)31014-X

とうことで筆者らはトランプ大統領ツイッターアカウントが投稿した12,000 tweets について統計学的な解析を行った。
その結果、投稿元のデバイスにより明らかに投稿者が異なることが分かった。
Androidからの投稿には投稿に早朝と深夜の2回にピークがくる周期性が見られ、特定の個人によるものと推測される。
一方iPhoneなど他の複数のデバイスには周期性が見られない。
Androidからの投稿は過激な内容が多く、他のデバイスは事務的なものが多かった。
以上のことから、Androidからの投稿がトランプ本人であると考えられ、他のデバイスによるものはスタッフの投稿であると推測された。
これは先行研究の結果とも一致する(先行研究???)。

声優のSNSなどを統計分析している気持ち悪い同人誌があるらしいが、それに近いものがありますね。

ラボ飯〜二郎三田本店編〜

 月曜午前中のMTGを終えた我々は、無事に進捗報告を成し遂げた同期ちゃんを労うためにラーメン二郎三田本店に向かった。

 彼女はかつて二郎新橋店に初めて行った際には完全にグロッキーだったのだが、こないだ後輩たちと一緒に三田の本店に行ってからというもの「新橋と全然違って美味しい」「老舗感がある」「店主が素敵、店員が優しい」「フォトジェニックだった」などと完全にジロリアンに洗脳されていたのだ。
 一部の男性に脂ぎった高カロリーな食事を食べて回ることに情熱を燃やす暑苦しい連中が居るが、私が二郎本店に向かったのは純粋な興味であり、そのような者たちとは一線を画して居る事を強調しておきたい。Wikipediaによればかつて慶應の学生が尽力したことにより現在の店舗が存在するという。まがいなりにも慶應に籍を置くものとして一度見るべきであると思ったのである。

 慶應義塾大学三田キャンパスのすぐ近くにある多くの男たちを熱狂させてやまないその店は、まるで豚小屋のような佇まいであった。午後も一時を回っていたため、少し並んだらすぐに入ることができた。横に細長い店内は左右の扉が解放されて居ることにより空気が循環しており、蒸し風呂のような惨状であった新橋店と比較し、極めて涼しいと言える。
 統合失調症気味の社訓が書かれた券売機で「ラーメン」の食券(600円)を買うと、脂ぎった青いプレートが出てきた。色で判別して居るらしい。若い店員は連れが隣り合うように気を使ってくれたり、たしかに排他的な雰囲気に反して非常に愛想がよい。
 そして店主の姿を見ると、なぜか常に薄汚れた包帯を巻いているというその両手の指であらゆる食材を扱い、なるほど「三田店のスープには店主の指のダシが出ている」という後輩からの前情報にも頷ける。
 最初野菜でも増した方がいいかと思っていたが、雰囲気に飲まれて居るうちに何もナシで出てきてしまった。同期ちゃんは少なめに注文しようとしてやはり失敗してしまったが、後から来た客を観察すると店員に注文を聞かれた瞬間に言うべきらしい。てっきり麺を減らすなんて罪深い行為は許されないかと思っていたが全然オーケーなようだ。
 周囲を観察していると、全部マシというのにすると予め器に分配してあるスープが増量に伴い溢れるのを防ぐためか、床にビシャッとスープを少し捨ててから客に提供している。また、痩せて草臥れた雰囲気の会社員風の初老の男性が二杯も頼んでて恐ろしかった。

 二郎用語で「小」と呼ばれるラーメンは、やはり世間一般におけるそれの2倍程度の量があった。
 味は確かにうまい。新橋に比較して麺がモチモチしている。スープも店主のダシのおかげか美味しい気がする。チャーシューというか肉塊は硬いところと柔らかい部分があってなんだかよく分からん。
 同期ちゃんは一口食べると「うめぇ…」と呟いており、ダイエットをライフワークとして居る彼女の体重の変遷を考えると涙がちょちょ切れんばかりであった。
 一方、二郎本店に異様な忌避感を呈していたのを半ば無理やり連れてきた同期くんは引きつった顔をしていた。
 私は半分程度までは幸福に食事をする事が出来たが、ある時ふと麺がちっとも減らない事、そしてもう満腹である事に気づくと大変だった。結局、何か幸せだった事を思い出して気を紛らわせて忘我のうちに食べきる事に成功した。何か具材をマシていたら死んでいたかも知れない。
 同期ちゃんも麺を減らすのに失敗したにも関わらず完食していた。同期くんは少し残し、半日かけてデータをまとめたエクセルファイルが消失した時みたいな顔をしていた。
 店には引っ切り無しに客が入り、店主が巨大な換気扇を回すと豚小屋のような店舗に涼風が吹き抜けるのだった。

 地獄のような暑さだった新橋店で二度と行くかと思った時に比べると比較的元気であり、また来てもいいかなと思わせる何かが三田本店にはあった。そんな事を話しながら私と同期ちゃんは意気揚々と研究室に帰った。同期くんは無言でその日ずっと死んだ魚のような目をしていた。

Esクラ・オーバーホール

 毎年大学のOBバンドでコンクールに出ているのだが、近年は海外に行ってしまった先輩のエスクラを吹かせてもらっている。セルマーの古い楽器で、昔は学校所有のアホみたいなエスクラしか吹いてなかった私としては中々良い楽器に思える。しかしいかんせん古くて結構キーがダメージを受けているし、調整も怪しい。

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 いつもは別の人が保管してるのだけれど、今年はずっと預かって吹いていていい事になった。そこで、世話になったお礼までにオーバーホールに出すことにした。

 キーを全分解して点検し、よく磨いてもらった。ボアオイルを塗布したので木部も綺麗になったような気がする。タンポ交換は不要との事だったのでそのまま。自分の腕を棚に上げて音程調整を厳しめにお願いした。写真だとあまりビフォーアフターが分からないが、見た目は綺麗だし吹いてみると音程がだいぶ合わせやすい。

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 そういえば型番が分からないので楽団にいる某N貿易のお爺様に尋ねてみたところ、結局モデルは不明だが「そのケースはワシが作った(デザインした)」と仰っていた。日本製だったんですね、すげぇ。

 

 普通B♭管やE♭管のオーバーホールというと消耗品交換がなくても4万くらいは覚悟するものだと思う。今回修理に出した神奈川のNFC管楽器修理所という所では驚異的な価格で全タンポ交換・全分解オーバーホールをしてくれた。

 以前B♭管をオーバーホールしようと思って安いところを探したところ、ヤフオクに出品しているのを発見した。基本的には楽器を送付してやり取りする(実店舗に持ち込みも可能らしいが、同じ神奈川県内とはいえ遠かった)。細かな点をいろいろ確認してくれ、タンポ交換も不要だったため費用は一万円以下に収まってしまった。その時はヤフオクでの取引が面倒だったので、今回は直接メールでお願いした。こっちの要望はよく聞いてくれるし、相変わらず値段がべらぼうに安い。

 もちろん近所に信頼の置ける楽器屋を見つけてそこに預けるのが一番なのだが(お布施的な意味でそういう店でリードも買うのがベストではある…)、近くに楽器店が無い人や貧乏学生で、運送屋に楽器を任せるのに抵抗のない人にはお勧めである。ゆうパックが良いらしい。

クラリネットのマウスピース

 僕は高校の吹奏楽部でクラリネットを始めたが、最初に手に入れたまともなマウスピースは御多分に洩れず5RVだった。それに青箱3グラコン3半と合わせていき、なんか大学に入ってから様々なリードに手を出し始め、硬めのリードを好むようになった。ゴンザレスとかね。

 そのうちなんかバンドレンM15を買って青箱4番以上の硬いリードで野太い音を出すようになった。たぶん楽器歴が長くなるにつれ、息の量が増えて行ったのだろう。

 けれども学部生の頃、仙台フィルの方に何回かレッスンを受けたところ、もっと息が吹き込めるマウスピースにしなさいという事でB40で青箱3番を合わせる事を勧められ、それ以来ずっとB40 LYREを使用している。エスクラも同じ。その人の門下はだいたいB40を使用しているので、うまく乗せられている気がしなくもない。途中ヴィルシャーのNo5を手に入れた事もあったが、B40しか吹けない身体になっていたのですぐに売ってしまった。

 ところが、就職して3年ほど日常的に楽器を吹くことをしない暮らしをした結果、B40では息が辛くなってしまった。今は楽団に入って土曜日だけ合奏しているが、週一の練習では当時の体力に戻すのはなかなかしんどい。青箱3はだいたい重くてつらいし2半はペーペーするし何がいいのかわからなくなってきた。

 そこでもう少しフェイシングの狭いマウスピースを買おうと思い、バンドレンのブラックダイヤモンドBD5というやつを買ってみた。手持ちのリードだと、銀箱の31/2が合うようであった。開きのわりには抵抗が強く感じる。合うリードだと、まとまった感じの音で、高音域も綺麗に出るような気がした。ただやはりB40に比べると音がコンパクトな気がする。今いる楽団は野外演奏も多いので、メインで使うかはわからない。しかしいかんせん個人練の機会も少なくセッティングが合ってるのかよく分からず、もう少し合うリードなどを模索したい。

学振DC1の面接

 世の中には面接なしで学振に通る人もいるが、私の場合はそうはいかなかった。面接となると何が困るかというと、結果が分かるのが更に数ヶ月先になるので辞職を切り出すタイミングが遅くなってしまう事だった。まぁ仕事を辞める事についてはこの項では割愛する。

 とにかく通知によると、私は面接候補であった。この時、総合評点Tスコアって奴が出て私は3.325だった。
 項目ごとの数値は落ちた人しか分からないらしいが、これでだいたい自分の順位が分かるらしい(求め方は別のサイトをググってください)。その時の採用不採用の内訳は、

領域内申請者数:366人
うち一時採用予定者:57人 (上位15.6%)
うち面接候補者:28人 (上位23.2%)
うち不採用者:251人

 まあこの年の医歯薬領域では上位23%くらいに潜り込めれば面接には引っかかるということだった。ちなみによく学振スレでは業績がどのくらいか?という話題が出るので書くと、

国際誌筆頭 1
国際誌共著 1
国内口頭発表(英語) 1
国内ポスター発表(予定)1
受賞 1(上記口頭発表で優秀賞)

 筆頭論文は査読が早いので有名な某速報誌なのでIFは大したものではない。口頭発表も、学内のシンポジウムなので微妙な気がしたが、無いよりマシだっただろう。一本も論文がなくても面接なしで受かった人も知っているので、DCは業績を重視しないというのは本当かもしれない。ちなみに国内発表の(予定)というのはボスがまだ間に合うから景気付けに細胞生物学会で発表してこいというので修士の仕事で申し込んだ奴だ。一応、受理されてれば発表予定も業績欄に書くことが出来る。

 面接となったらしょうがないのでスライドを作らねばならない。プレゼン時間は恐ろしい事に4分しかなく、基本通りに1枚1分にしてしまうと4枚しか作れない。私は修士と博士で(ついでに言えば学部も)研究内容が全く異なるので、これまでの研究から今後の計画への流れも面倒だった。最終的には、タイトルも含めて9枚のスライドになった。業績3枚→テーマを変える動機1枚→研究計画4枚という流れだ。

 スライドに関しては申請書と同様受入先のボスや前ラボの師匠や先輩に送りつけて意見をもらった。質問も考えてもらって、予想質問集を作成した。直前に受入ラボで発表練習をしたが、人前で練習したのはそれだけだった。

 

 そんなこんなで12月の頭、麹町にある学術振興会の建物で面接は行われた。当時のメモによると、
・事前に控室で本番と同型のプロジェクターを用いて接続チェックできる
・PCは貸出PC(Win)を利用
ポインターも貸出
・16:20予定だったが、16:00前に呼び出しがあった
・荷物は持って移動、入り口の前においておく。
・前の人が終わるまでしばし待機
・名前と研究課題を述べてタイマースタート
・質疑応答は最初に申請書を良く読んでいると思しき質問者が複数質問
・その後あまり読んでなさげな人たちがパラパラ質問
・最後に大御所感のあるお爺ちゃんが根本的な質問を複数
・ボスに免疫学者は魑魅魍魎ばかりとかなり脅されていたが、雰囲気は終始和やかであった。係の人も皆親切。

 面接ごとに審査員が入れ替わっている様子はないので、申請時の細目によって審査員のバックグラウンドを合わせることが重要かもしれない。ただ、私が受けた際の審査員が免疫学者だったかどうかはわからない。正直言って面接というのは受かったのか受かってないのか手応えで判断できた試しがない。今回もなんだかよく分からなかった。

 

 面接の結果が出た時は喜びというより生きる糧ができたという安堵感しかなかった。その時の選考状況は

領域内申請者数:366人 (取下げ含む)
うち採用内定者:76人 (上位20.8%)
うち補欠者:9人
うち不採用者:251人

 採用内定で一時採用の時より増えているが19人なので、ほぼ面接候補者28人の過半数は合格したことになる。実際にはこの時点で採用辞退している人も少しはいるだろうから、面接に呼ばれればかなりの確率で合格できたと言えよう。明らかにアホで自分の頭で申請書を書いていないタイプの人間をあぶり出す為のものなのかもしれない。
 なお、この年の最終的な採用者は領域内で73人(採用率19.9%)であるようだ。採用内定者よりも減っている。もし76人まで枠があるとすると、内定者がかなり辞退し、補欠者を全部入れても足りなかったことになる。実際どのように採用者が決まったのかは知らないが、学振のサイトに出ている最終的な採用率よりも、内定する確率は高いと考えて良いかもしれない。

 

 いずれにせよ、(この年の私の領域では)同年代の上位20%くらいに入り込めればDC1に採用されるわけだから、企業の研究職なんかよりよほど確率は高いと言える。DC1というのは給付型の奨学金の中でも最も難易度が低い部類に入ると思う。受けるのはタダなんだしみんなも応募してみよう。

仕事を辞めて学振DC1をとる

 私は公務員を退職して博士課程に入ると同時に学振のDC1に採用された。すなわち、仕事をしながら学振特別研究員の申請を行い内定を貰ったという訳だ。おかげで年収はだいぶ少なくなったが、なんとか自力で生活費や学費を捻出できている。

 そもそも修士じゃなくてもDC1に応募できるということを知らない人も多いかもしれない。私も当初は進学して最初の年は貯金で乗り切り、DC2に応募しようと考えていた。今のラボに見学に行ってボスに言われて初めてそれを知ったので、その点でもボスには感謝している。想定外だったのは、研究職に就いている人は所属のリーダー的な人に評価書を書いてもらわなければならない事だ。つまり辞める前提で職場に借りを作らなければならず、結構無茶なんじゃないかと思う(なお研究職じゃなければ修士の指導教官でよい)。

 DC1の申請は修士における所属機関で行うことになっている。もちろん私もボスもそんな事知らなかったため、間違えて進学先の事務に提出してしまい、リジェクトを食らった。その時点で既に母校における締切をぶっちぎってしまい、あの時は私の人生の中でも最も世界の終わりに近づいた出来事の一つだった。母校の事務と交渉してなんとか提出できたが、当時福島県に住んでいて、出身大学は仙台で受け入れ先は東京なので教授や事務とメールや電話や郵送でやり取りしなければならず、かなり大変だった。 

 学振の申請書については検索すれば色々出てくるので内容について細かいことは述べない。1番良いのは実際に受かった人の書類を読ませてもらう事だと思う。私の場合は受入先や出身ラボの先輩、大学の部活の先輩などからかき集め、4つほどDC1経験者の申請書類を読んで研究した。また、できれば落ちた人の書類も読ませて貰うと良い。その違いを考えると書き方が見えてくる気がする

 個人的には具体的な研究計画や業績と同じかそれ以上に書類の見せ方が重要だと思う。業績に関しては筆頭論文が何報もある人がいる一方で、一本も論文がなくても受かっている人もいた。それよりも共通していたのは、パッと見たときの読みやすさだ。実は下線や太字はもちろん、フォントを変えたり網掛けしたりするのもOKなので、各自で工夫すると良い。どんなに素晴らしい研究内容でも、膨大な量の申請書を処理するであろう審査員に伝わらなければ意味がない。

 なおボスは博士やポスドクで研究分野を変えたり、志望動機のパッションが大事だと言っていた。私に関して言えば確かに学部も修士も就職先も博士も分野が違うし、動機に関してはかなりドラマチックな理由を込めたのだけど、その効果は定かではない。

 絶対にやった方がいいのは、書いた書類を複数の人に見てもらう事。私は受入先のボスはもちろん、修士時代の教官2名、学部時代の先輩数名に見てもらった。恥とかどうでもいいので、なるべく多くの人に意見をもらった方がいい。

 

 そんなこんなで10月の半ばごろに結果が出た訳だが、そうすんなりとはいかず、面接を受ける事になった。面接についてはまた後述する。

公務員を辞めて博士課程に進学する

私は東京の私大で博士課程に在籍している。分野的には生物系で、ラボ的には免疫などの研究をしている。修士課程までは宮城県にある国立大学の理学部に通っていたが、三年ほど地方公務員として働き、仕事を辞めて博士課程に進学した。

 

理系では多くの学生が大学院に進学し、修士を取ってから就職という流れが(少なくとも自分の周りでは)多い。もちろん修士くらい取らないと企業の研究職や開発職にはつけないからという人もいると思うが、学問や研究が好きで大学院に進学した人は、少なからず就職か博士課程で悩んでいると思う。

御多分に洩れず私もその類で、4年生でラボに配属された当初は博士になると意気込んでいた。ところがどっこい色々とあって不登校になり、修士の途中でラボを変えた。変えた先では師匠の助けもあり割といい感じに研究していたが、もうアカデミアとかマジ無理…という心境であった。そこで仕方なく就職活動を始めたものの、完全にやる気のない態度で挑んだ結果、製薬や食品企業の研究職に落ちまくり、最終的に公務員試験を受けたら何故か受かったのでとりあえず就職した。

地方公務員ではあるが農業試験場というところで一応は公設試験研究機関の研究員という身分であった。農業は畑違いではあったものの、理学部生物学科の出身としては生き物を扱う研究職なので悪くなかった。基本的にフィールドワークだったが、もともと野外で生き物を見るのは好きだった。学会にも行けたしちょっとした論文も書いた。昔から食べたり料理したりが好きなので、新鮮な野菜や果物や米がふんだんに手に入って喜びのあまり5 kg太った。ボーッとしてれば定年まで働けただろう。

じゃあなんで安定した公務員としての生活をフルスイングでドブに捨てて博士課程なんかに進学したかというと、まあ一口には言えず色々な理由が考えられる。

まず、父親が退職していたので博士課程には金銭面の不安があった訳だが、修士の時にやっていた仕事で就職二年目にして筆頭著者として論文を出せたので、学振特別研究員に応募する希望が湧いたこと。

次に、3年働いたら仮に無給で大学院に行っても少なくとも12年くらいは生活できそうな貯金ができる目処が立ったこと(3年と言えば転職するタイミングですね)。福島県南相馬市はあまりにも遊ぶところがなくて金がたまる一方だったのである。

しかし最も大きかったのは次の理由だ。

SNSやら何やらで同級生や先輩後輩を見ていると、大企業に就職したりしてお金をもらって華やかな暮らしをしている人も沢山いる。中には起業とかしちゃった人もいる。別に金持ちじゃなくても結婚した人もいる。子供が生まれてたりもする。しかし私はそういった普通に幸せな人たちの姿を見るよりも、博士課程に進学して貧乏しながら研究している同世代の姿を「羨ましい」と思ってしまった。一度そう言う感情を持ってしまうと、羨ましさを解消する道は、自分が博士課程に進学することしか思いつかなかった。

 

学部のラボも修士のラボもその時には無くなっていたので、新しく進学する研究室を選ぶ必要があった。特に面識も何もないのに研究テーマと教授の若さで(出身研究室がなくなるのは寂しいものだ)今のラボを選んだけど、非常に活気のあるラボだし、研究費は湯水のようにあるし、学振も取らせてもらえたので結果的によかったと思う。私大だし授業料が免除にならないので年間70数万円の学費(私大にしては安い)を払う羽目にはなったが、貯金もあるし普通の学生よりはリッチに暮らせているだろう。

もちろん、仕事を辞めて博士課程に入り直すことにはデメリットも多かった。メリットは経済的な点を除けばあんまりない。分野にドンピシャな企業で研究をしていた人なら大学でも役に立つ事も多いかもしれないが、そういう人はそもそも会社を辞めない気がする。まぁ強いて言えば、働いてお金をもらいながら学振に応募できるので、落ちたらまた来年という選択肢も選べることだが、先延ばしにして良いことはあまりないようにも思う。あと、一度も社会に出ずにアカデミアに居た人に比べて多少は社会常識が身についたかもしれない(要出典)。

おそらくどういう道を選んでも後悔することはあると思う。でも、なるべく納得のできる、自分を許すことができる道を選んでいきたいものである。